ザ・ノンフィクション MASTERPIECE
古い順に並び替えNo.3
エピソード3
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愛知県・岡崎市の山の中に、小さな寺がある。そこはかつて「平成の駆け込み寺」と呼ばれ、非行や虐待、いじめ、薬物依存など、様々な理由から親元で暮らせなくなった子供たちの「居場所」だった。 非行グループに属していたショウは、バイクの窃盗を繰り返し、13歳にして少年鑑別所に送致される寸前だった。兄貴分のタクマもまた「九州の中学生ヤクザ」と異名を取るほどのワル。 廣中さんは20年間にわたり、問題を抱える子供たちを無償で預かり、更生に導いてきた。 子供たちからは「おじさん」と呼ばれ、第二の父親の様な存在だ。おじさんや仲間たちから温かく迎えられ、ショウは少しずつ落ち着きを取り戻していくが、ある日事件が起きる… 一方、子供たちの精神的な支えであった廣中さんは、ステージ4の肺がんに侵され、その後、脳転移が判明。 強靭な精神力で病と闘いながら、最期まで子供たちに手を差し伸べ続ける。 ショウとタクマ、そして熱血和尚と悩める子供たちの心の触れ合いを捉え続けた、11年間の映像記録。 ■米・NYフェスティバル2020 ドキュメンタリー・宗教部門・銅賞/UNDGC賞・銅賞 2020日本民間放送連盟賞・最優秀賞 ATPテレビグランプリ(2019)グランプリ受賞 ギャラクシー賞(2018)奨励賞
No.2
エピソード2
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前田勝さん(当時34歳)に出会ったのは2017年の夏。舞台役者の前田さんは自身の母親を主人公にした公演を行っていると言うが…カメラの前で、勝さんが語り始めた「家族」の話は、あまりにも壮絶だった。 韓国で生まれてすぐに両親は離婚。母は日本に出稼ぎへ行き、親戚の家を“たらい回し”にされた幼少時代。 7歳からは、台湾の実父の元で育ち、13歳の時に、日本人と再婚した母に呼び寄せられる形で名古屋で暮らした。 事件が起きたのは2002年、18歳の春だった…継父との夫婦仲に思い悩んだ母は、継父を撲殺した後、自ら身を投げた。母親による無理心中事件…。勝さんは被害者と加害者の息子となり、“家族”も身寄りもいない日本で独りぼっちになったのだ。 母に対して、恨みと憎しみを持ったまま生きてきた勝さん。母はなぜあんな事件を起こしたのか?母はなぜ自分を棄てたのか?母が遺した携帯電話や手紙を頼りに、母の人生を辿る「旅」に出た… ■米・NYフェスティバル2019 ドキュメンタリー・人物/伝記部門・銅賞
No.1
エピソード1
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2016年7月、フジテレビで深夜に放送したドキュメンタリー「だから、アイドル。~TOKYO不思議の街の住人たち~」。その中で特に大きな反響を呼んだのが、きらら当時38歳。 きららの日常は壮絶だった。仕事は解体業。23区内では格安の家賃2万9000円の風呂なしアパートに住み、主食は、鳥のエサなどに用いられる“くず米”。生活をそこまで切り詰めるワケは、あることが原因で背負った450万円もの借金。人生どん底…そんなきららが、時折うっとりとした表情で口にする言葉…「しっくりくる」その言葉にこだわるわけは24歳まで男性として生きてきた、きららの過去にあった。 38歳にしてようやくみつけた、しっくりくる居場所、しっくりくる自分の姿… それは小さなライブハウスにあった。“地下アイドル”としてステージに立ったきらら。 満たされた気持ち、幸せを感じていた。そんな矢先のことだった。事故に遭い意識不明の状態で救急搬送。仕事を失い、借金が返せない。焦ったきららは、とにかく1日で高額の収入が得られる仕事に手を出すが… 「しっくりくる」ただそんな感覚に嘘をつかずに、自分の人生を生きたいともがくきららの1年半を追った。
