作曲家・服部良一と笠置シヅ子〜のり子・はま子…女王たちの時代〜
音楽
作曲家・服部良一と笠置シヅ子〜のり子・はま子…女王たちの時代〜🈑
今話題の服部良一と笠置シヅ子。シヅ子の存在感に感銘した服部はジャズ、ブギを作曲、ヒットさせた。淡谷のり子、渡辺はま子と共に3人の歌姫との絆。
11月17日 日曜 18:55 -20:54 BSテレ東
日本の歌謡界を大きく変えた作曲家・服部良一。そして服部から歌手として信頼された笠置シヅ子。「東京ブギウギ」は戦後の人々を明るく元気づけ“ブギの女王”と呼ばれた。この2人の絆を中心に、「別れのブルース」が戦地の中国でヒットし、ブルースの女王と呼ばれた淡谷のり子、そして中国慰問団にも参加、チャイナメロディの女王と呼ばれた渡辺はま子。そんな3人の歌姫をしてヒット曲を飛ばした逸話と音楽人生をお届けします。
作曲家・服部良一の音楽とは---
今も多くの人々の心に残る青春ソングの代表「青い山脈」、戦後復興期、多くの人々を元気づけた「銀座カンカン娘」など、誰もが一度は口ずさみ、耳にしたことがあるはずだ。
昭和歌謡の黎明期にいち早くジャズとポップスを融合した西洋の新しいメロディーを取り入れ、数々の名曲を作り上げたまさに昭和歌謡史を支えた第一人者といえる。
歌姫①笠置シヅ子
幼少の頃から歌と踊りが大好きで大阪松竹楽劇部(OSK日本歌劇団の前身)に入り、その後上京、松竹楽劇団旗揚げ公演で服部良一と出会う。服部は当初、笠置にいい印象はなかったがステージを見て才能に惚れ込む。
名曲「ラッパと娘」誕生、ジャズ歌手として売り出すも、戦時中ゆえ、当局の指導によりたびたびの公演中止を余儀なくされる。
戦死したシヅ子の弟に捧げた「大空の弟」を服部が作曲。歌手の神野美伽が笠置シヅ子をモデルにした舞台でこの幻の曲を披露している。恋人にも死に別れ、失意のどん底の中で歌ったのが「東京ブギウギ」だった。その後、シヅ子は「買物ブギー」や黒澤映画の主題歌「ジャングルブギー」などヒットを連発。ブギの女王と呼ばれる。
※♪ラッパと娘…現存する最古の歌唱映像
※♪東京ブギウギ…踊って歌う貴重歌唱映像
歌姫②淡谷のり子
青森の呉服屋に生まれるが火事で上京。ヌードモデルをして生計を立てる。
カフェで歌う淡谷を見た服部は心を惹かれ作詞家の藤浦洸に作詞を依頼。それが服部良一の出世作「別れのブルース」だ。日本では当初売れず、戦地の中国から人気に火がつく。
その後、服部は淡谷のため数多くのブルースを作曲、淡谷は「ブルースの女王」と、呼ばれるようになった。
歌姫③渡辺はま子
服部は中国慰問団に参加。その時、渡辺はま子も同行。服部は中国の風景に心を奪われ、チャイナメロディを作曲。その一つが「蘇州夜曲」だ。李香蘭と長谷川一夫が共演した映画「支那の夜」の副主題歌となり、渡辺はま子が歌った。はま子は慰問中の中国で終戦を迎えたが収容所に残り、軍人らを励ました。