偉人・敗北からの教訓

ドキュメンタリー/教養

偉人・敗北からの教訓「常陸の大名!佐竹義宣・家康の怒りを買った律義者の運命」

常陸の戦国大名で徳川家康に律義者と評された佐竹義宣の敗北を紐解く。天下分け目の戦いで家康の命を受けながら、東軍として積極的に戦闘に加わらなかった理由とは?

3月14日 土曜 21:00 -21:55 BS11イレブン

偉人・敗北からの教訓「常陸の大名!佐竹義宣・家康の怒りを買った律義者の運命」

後世、「豊臣政権の六大将」の一人とも称された佐竹義宣の敗北から現代に通じる教訓を探る。▼1570年、佐竹義重の嫡男として常陸国に生まれた義宣は17歳で初陣を飾り、21歳までに家督を継承。この間、従兄にあたる伊達政宗の脅威が迫ると、義宣は豊臣政権に接近。1590年、小田原攻めに参陣し、豊臣秀吉の天下統一に貢献した。その後、各地での軍役を果たし、常陸54万石の大大名として確固たる地位を築いた!
▼1598年、秀吉が他界し、豊臣政権が揺らぐと、2年後、徳川家康と石田三成が対立し、国内を二分する争いに発展。義宣は家康から会津の上杉景勝を攻めるよう命じられますが、積極的に動かない。結局、義宣はほぼ何もしないうちに、関ヶ原で東軍が圧勝し、戦いは終結。終始、曖昧な態度を取り続けた義宣は終戦から2年後、先祖伝来の常陸から出羽国秋田への減転封となった!▼義宣はなぜ、積極的に東軍に加担しなかったのか?
▼1602年、秋田に移った義宣は水運による経済の活性化を目指すと同時に、能力のある若手や外様家臣を積極的に登用し、家中を再建。転封時、20万石だった石高は江戸中期になんと、実高45万石に達したという!1614年、大坂冬の陣が勃発すると、義宣は徳川方として参陣し、豊臣方の砦を攻め落とす武功を挙げた。そして1633年、64歳で生涯を閉じた。▼義宣の敗北から学ぶ教訓は…「優柔不断は身を滅ぼす」!
歴史上の偉人たちが犯した失敗から、私たちが学ぶべき教訓を探る歴史情報番組。

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