偉人・敗北からの教訓

ドキュメンタリー/教養

偉人・敗北からの教訓 第127回「シリーズ合戦②鎌倉幕府滅亡・北条政権の落日」

源頼朝が開き、長らく北条一族によって運営された武家政権、鎌倉幕府の敗北を紐解く。鎌倉幕府はなぜ、およそ150年で栄光の歴史に終止符を打つことになったのか?

2月14日 土曜 21:00 -21:55 BS11イレブン

偉人・敗北からの教訓 第127回「シリーズ合戦②鎌倉幕府滅亡・北条政権の落日」

1333年に滅亡した鎌倉幕府の敗北から現代に通じる教訓を探る。1185年に平家を滅ぼした源頼朝は鎌倉に幕府を開くが、源氏将軍はわずか三代で断絶。幕府の実権は将軍の補佐役だった執権、そして、北条氏の嫡流である北条得宗家当主へと移行する。八代執権・北条時宗は元寇を退けるが、恩賞をもらえない御家人たちの不満が募る。時宗の嫡男・北条貞時は得宗家による専制を強化するが、幕府内の反発を生んでしまう。
貞時の三男・北条高時が家督を継いだ頃には得宗家の影響力が低下していた。そんな中、後醍醐天皇が倒幕を企てると、幕府に不満を持つ武士たちが各地で挙兵。さらに幕府が京都に派遣した足利尊氏が天皇方に寝返り、六波羅探題が陥落。そして、上野国で挙兵した御家人・新田義貞が鎌倉に攻め入り、高時をはじめ、一族、重臣らは自害を余儀なくされ、鎌倉幕府はあっけなく滅亡してしまう。鎌倉幕府は一体、どんな過ちを犯したのか?
歴代北条得宗家の屋敷跡に建つ宝戒寺は北条氏滅亡後、その霊を弔うため、後醍醐天皇の命を受けた足利尊氏によって建てられた。二代執権・北条義時が実権を握って以来、北条一族を中心に運営された鎌倉幕府が滅びてしまった理由とは?鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇による建武の新政を経て、足利尊氏が新たな武家政権を樹立。室町幕府の誕生である。こうして政治の中心地は鎌倉から再び京都に移される。
歴史上の偉人たちが犯した失敗から、私たちが学ぶべき教訓を探る歴史情報番組。

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