偉人・敗北からの教訓
ドキュメンタリー/教養
偉人・敗北からの教訓 第126回「シリーズ合戦①源平合戦・平家滅亡の真相」
平安末期、源平合戦に敗れ、滅亡した平家の敗北を紐解く。平清盛が貴族政治に終止符を打ち、朝廷の最大権力者となりながら、一族があっけなく滅びてしまった理由とは?
2月7日 土曜 21:00 -21:55 BS11イレブン
史上初の武家政権を樹立し、我が世の春を謳歌しながら、源氏に敗れ去った平家の敗北から明日を生きるための教訓を探る。治承・寿永の乱、いわゆる源平合戦の引き金となったのは平清盛と後白河院の衝突だった。後白河院を幽閉し、安徳天皇の外祖父となった清盛は専制政治を展開。これに貴族らの不満が爆発、源頼朝ら源氏一族が打倒平家の狼煙を上げると、合戦の最中に清盛が病死。平家の棟梁は清盛の三男・平宗盛に引き継がれる。
源氏軍が上洛した後、讃岐国の屋島に本拠を据えた平家軍は瀬戸内海の制海権を握り、巻き返しを図る。ところが、一ノ谷の戦いで源義経率いる源氏軍の奇襲を受け、大敗。続く屋島の戦いにも敗れ、瀬戸内海を西へ進むと、壇ノ浦で源氏軍を迎え撃つ。海上戦に長けた平家軍は序盤、戦いを優勢に進めるが、やがて劣勢となり、敗北を悟った武将らが続々と海に身を沈めた。平家はなぜ、源氏に敗れ、滅亡してしまったのか?
平家の棟梁・宗盛は息子と共に海へ身を投げた後、源氏軍に引き上げられ、斬首された。壇ノ浦を望む地に建つ赤間神宮には非業の死を遂げた平家の武将たちの供養塔が並ぶ。ここは琵琶法師の芳一が平家の亡霊たちに耳を奪われる物語『耳なし芳一』の舞台でもある。一ノ谷の古戦場の程近くに建つ須磨寺は、平敦盛の伝説の地として知られている。平家が滅びて約840年、一族が今日に残したものとは何なのか?
歴史上の偉人たちが犯した失敗から、私たちが学ぶべき教訓を探る歴史情報番組。
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