偉人・敗北からの教訓

ドキュメンタリー/教養

偉人・敗北からの教訓 第123回「小西行長・決裂した明との講和交渉」

商人出身のキリシタン大名・小西行長の敗北を紐解く。主君・豊臣秀吉の命により、朝鮮出兵の先鋒を務め、明との講和交渉に臨むが、失敗に終わってしまった理由とは?

1月17日 土曜 21:00 -21:55 BS11イレブン

偉人・敗北からの教訓 第123回「小西行長・決裂した明との講和交渉」

朝鮮出兵の先鋒を務めた小西行長の敗北から明日を生きるための教訓を探る。1558年、堺の商人の次男として生まれた行長は、商売を通じて知り合った宇喜多直家に才能を見出されて武士の道へ。その後、宇喜多家と織田家の和睦交渉の際に対面した羽柴秀吉の家臣になると、キリシタンとしての人脈や商人としてのスキルを生かし、独自の地位を確立。四国攻めや九州攻めでの武功により肥後半国15万石の大名に抜擢された。
1592年、秀吉が大陸進出に乗り出すと、行長は先鋒隊の隊長として朝鮮半島に上陸し、奉行らと協力しながら、明との講和の道を模索する。そして、明を征服するのではなく、目的を朝貢貿易にすり替え、戦争の終結を目指した。ところが、明が日本の朝鮮統治を認めないことを知った秀吉は激怒、交渉は決裂し、泥沼の戦いへとなだれ込んでしまう。行長はなぜ、講和交渉に失敗してしまったのか?
秀吉没後、行長は関ヶ原の戦いで西軍として戦うが、大敗を喫し、伊吹山へ逃れた。行長は平家の落人伝説が残る集落に身を潜めるが、村人の密告によって捕らえられ、斬首刑に処された。その後、村に火事が相次いで発生、これを行長の怒りだと恐れた村人たちは行長の葬儀を執り行った。今も村では年に一度の供養を欠かさない。豊臣政権の外交役を担い、43歳でこの世を去った行長の人生とは何だったのか?
歴史上の偉人たちが犯した失敗から、私たちが学ぶべき教訓を探る歴史情報番組。

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