偉人・敗北からの教訓
ドキュメンタリー/教養
新春スペシャル 偉人・敗北からの教訓 第121回「豊臣兄弟編」
天下人・秀吉とその右腕・秀長からなる豊臣兄弟の敗北を紐解く。力を合わせ、悲願の天下統一を果たしながら、秀長亡き後、没落の運命を辿ることになった理由とは?
1月3日 土曜 20:00 -21:55 BS11イレブン
織田信長の家臣からのし上がり、豊臣政権を樹立した豊臣兄弟の敗北から明日を生きるための教訓を探る。兄・秀吉は1537年、弟・秀長は1540年に尾張国の農家に生まれたと考えられている。秀吉が信長に仕え、頭角を現すと、弟・秀長を信長の家臣とし、乱世に挑む。秀吉が総大将を務める中国攻めに秀長は従い、武功を挙げる。信長没後の小牧・長久手の戦いでは、秀長が秀吉の名代として織田信雄との講和交渉を務めた。
1585年の四国攻めで総大将を務めた秀長は長宗我部元親を屈服させ、その功により紀伊、和泉に大和を加えた100万石の大大名となった。秀長の足跡を辿るべく、中西悠理が奈良を探訪。大和郡山城とその城下町を訪ね歩き、町の発展に尽力した秀長の思いを実感。さらに、当時、絶大な力を持っていた興福寺を訪ね、秀長と寺院の関係を探る。『枕草子』にも登場する壷阪寺には江戸時代に作られた秀長の木像が残されていた。
1587年の九州攻めで秀長は日向方面の総大将を務め、秀吉の九州平定に貢献。秀長は軍事、内政のみならず、豊臣政権の諸大名の統制、調整役なども担い、秀吉の右腕として活躍したが、1591年、52歳でこの世を去る。その後、豊臣政権は崩壊への道を突き進む。兄弟が力を尽くして樹立した豊臣政権はなぜ、秀長亡き後、弱体化してしまったのか?伊東潤と歴史学者・黒田基樹の対談も交え、豊臣兄弟の栄光と敗北に迫る。
歴史上の偉人たちが犯した失敗から、私たちが学ぶべき教訓を探る歴史情報番組。
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