偉人・敗北からの教訓

ドキュメンタリー/教養

偉人・敗北からの教訓 第118回「大石内蔵助・果たせなかった浅野家再興」

赤穂事件を題材とした名作『忠臣蔵』の主人公のモデルになった大石内蔵助の敗北を紐解く。浅野家再興と吉良家の処分、二つの願いが果たせなかった内蔵助の決断とは?

12月13日 土曜 21:00 -21:55 BS11イレブン

偉人・敗北からの教訓 第118回「大石内蔵助・果たせなかった浅野家再興」

赤穂浪士を率いて吉良邸討入を果たした大石内蔵助の敗北から明日を生きるための教訓を探る。1659年、播磨・赤穂藩筆頭家老を務める大石家の長男として生まれた内蔵助は祖父の死を受け、21歳で家老となり、8歳年下の主君・浅野内匠頭を支える存在となる。ところが、1701年、内匠頭が江戸城松之廊下で高家肝煎・吉良上野介を斬りつける刃傷事件を起こし、即日切腹、浅野家は取り潰しという処分を下される。
一方、吉良家はお咎めなし。この不公平な裁きに藩内は紛糾。内蔵助は内匠頭の弟・浅野大学による御家再興と吉良家の処分を幕府に嘆願、打倒吉良の即時決行を求める急進派を抑えつつ、幕府の判断を待つことにした。しかし、吉良は隠居して処分を免れ、浅野家再興の願いも絶たれてしまう。これにより、内蔵助は主君の仇討ちへと舵を切る。そして、志を同じくする浪士たちをまとめ上げ、吉良邸を襲撃し、本懐を遂げる。
宿願を果たした内蔵助は自らの思いを歌にした。「あら楽し 思ひは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし」。討入後、内蔵助をはじめとする赤穂浪士は庶民の喝采を浴びた。彼らはなぜ、英雄となったのか?幕府は赤穂浪士全員に切腹を命じた。死の直前、内蔵助は吉良家の改易を知らされる。広島本家に預けられていた大学が旗本に復し、御家再興が果たされたのは内蔵助の死から7年後のことだった。
歴史上の偉人たちが犯した失敗から、私たちが学ぶべき教訓を探る歴史情報番組。

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