偉人・敗北からの教訓
ドキュメンタリー/教養
偉人・敗北からの教訓 第76回「蔦屋重三郎・寛政の改革に抗ったメディア王」
時代の寵児となった江戸の出版プロデューサー・蔦屋重三郎の敗北を紐解く。寛政の改革により、幕府の出版統制が強まる中、あえて問題作を世に送り出した理由とは?
1月18日 土曜 21:00 -21:55 BS11イレブン
歌麿、写楽といった浮世絵師を育てたメディア王・蔦屋重三郎の敗北から明日を生きるための教訓を探る。1750年、江戸・吉原で生まれた重三郎は23歳で小さな貸本屋を開業すると、その後、吉原のガイドブックである「吉原細見」の出版権を獲得。これが大ヒットし、版元として独立した重三郎は、庶民の人気を集めていた狂歌本や黄表紙、洒落本などの出版物でもヒットを連発し、創業わずか10年で出版界のリーダーとなる。
ところが、1787年、老中・松平定信が質素倹約・文武奨励を謳う、寛政の改革に着手すると、一気に風向きが変わる。幕府は政治や社会を風刺する版元や作家に睨みをきかせ、問題のある出版を禁じたのだ。重三郎は逆風の中で人気作家・山東京伝を起用し、遊郭を舞台にした洒落本の出版に踏み切るが、幕府の摘発を受け、多くの財産を没収されてしまった。重三郎はなぜ、危険を承知で問題作の出版に踏み切ったのか?
重い処罰を受けた重三郎はその後、起死回生を図り、次々と斬新な作品を世に送り出す。喜多川歌麿の美人大首絵、東洲斎写楽の役者絵は瞬く間に人気シリーズに。さらに新人発掘にも力を注ぎ、曲亭馬琴や十返舎一九、葛飾北斎らをトップクリエイターに押し上げた。1797年、48歳でこの世を去った重三郎は吉原で永久の眠りについている。幾多の名作を生んだ店のある日本橋ではなく、吉原を永眠の地に選んだ理由とは?
歴史上の偉人たちが犯した失敗から、私たちが学ぶべき教訓を探る歴史情報番組。
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